2012/08/31

落語「口吸い」


   『口吸い』
                 作・来離居無亭 檸檬



 古今東西、老いも若きも「男と女」。惚れたはれたの空の下、組んでほぐれて日が暮れて、いつの時代もやることは同じ。昔は、キスの事を「口吸い」などと生々しく言ってたものでして。



「(戸を叩きながら)てい吉、てい吉。おらんのか。入るで……なんや、おるんやないか」

「………はぁ(ため息)」

「なんや、おまはん、尻から声だしてるんか」

「へえ…」

「へえ、てまたうまいこと。今日こそはな、溜まっとる家賃、払ってもらうで」

「ああ、そないなご用でしたか。こら、えらいすんまへん」

「おい、何かいつもと違うやないか。どないしたんじゃ。えらい惚《ほう》けてしもて」

「はぁ、何と言うてええんやら。その……………あかん、腹痛《はらいた》なってきた」

「何や、ただの腹痛かいな」

「いや………………」

「厠《かわや》いくか」

「いや、その、これは好きになった人のことで………」

「わかった。皆まで言うな。恋ばな、言うやっちゃな。大家《おおや》と店子《たなこ》といえば、親子も同然じゃ。何でも話聞いたる。ふむ……片思い。それで悩んどるんやな」

「いや、片思いっちゅうのは、その、向こうが思てない、ちゅうことでしょ」

「なんや。そやったら、何かい。お互い好きおうとるっちゅうことかいな。それで、何悩む事があるんや。ええ話やないか。うらやましいやっちゃで。で、相手はどこの子や」

「お幸《さち》っちゅうて、小間物屋の……」

「小間物屋のお幸? お幸いうたら、えらい別嬪さんて評判の。こら、おまはん、うまい事やったなあ。はい、わかった。皆まで言うな。祝言あげよと、そういう話かいな。それで、わしに」

「いや、そうやおまへんねん」

「何やねん。煮え切らんやっちゃなあ。はあ! ……そうか、わかった。皆まで言うな。別嬪と付き合うとったのに、別れてしもうたっちゅう・・」

「いや、そうやおまへんねん」

「もう、何やねん! 別たんちゃうんか。もう別れたことにしたらええやん」

「んな、あほな。大家さん、そら無茶でっせ」

「ほんなら、何悩んどるねん。別れたんちゃうんやろ?」

「へえ」

「祝言あげよ、ちゅうとこまでは行っとらんわけやな」

「へえ」

「ほんなら、どこまで行ってん」

「へえ、逢引きはいつも道頓堀……」

「ちゃうちゃう。どこまでっちゅうのは、その、AとかBとか。まさかおまはん、もうCまで」

「えぇ? びぃ?」

「すまんすまん、言い方が新しすぎたな。えぇと、つまりやな。男と女や。やる事はやっとるんやろ」

「やること?」

「いや、あれや。手ぇ繋いだり、その、ち、乳繰り合うたり」

「大家さん。えっち」

「おまはんが言わせとるんやないか。それに、えっちて何やねん」

「大家さん。やらしいっちゅう意味でっせ」

「わかっとるわい。だから言い方が新しいやろ、ちゅう…もうええわ。それはとにかく。ほな、何かい。おまはん、逢引きちゅうて何もやっとらんのかい」

「何もせえへんて、そんなん…何が楽しいんです?」

「聞きたいのはこっちじゃい。だから逢引きん時、何しとるねん」

「何て……手ぇ繋いだり、乳繰り合うたり」

「やってるやん! やる事やっとるやないか」

「……ああ。どこまでって、そういう」

「やっと分かったんかい。そういうことや」

「大家さん。やっとここまで来ましたな」

「おちょくっとったんかいな」

「大家さん。………実はちょっとおちょくってました」

「もうええ。帰る!」

「いや、すんまへん。すんまへん! 話がええ方、向いてきましたんで、嬉しくて。つい」

「つい、やあるかい。ほんま、ええ加減にしぃや。ほんで結局、何やねん」

「その、男と女のやる事、ちゅうのに関係してますのや。…大家さん、『口吸い』って知ってはります?」

「知っとるわい! おまはん、わし幾つや思ってるねん」

「ほんで、お幸とはそれなりにまあ、ええとこまで行ってますわ。言うたら、Cくらいまで行ってますわ」

「行っとるんやん」

「ほんで、お幸とね、口吸い……そう、わたいら。だいたい、口吸いから始めますねん」

「だいたい、そんなもんやろ」

「始めの頃は、口吸い言うても、唇と唇をそっと重ねるだけ。それだけで、ドキドキしたもんですわ。それが、何度目かの口吸いでした。何かが唇に当たってくるんですわ。大家さん、何や思います?」

「ベロやろ」

「さすが、ベテラン。よう知ってはる。お幸ですわ。お幸が、その、ベロ出してきたんですわ。たまげましたわ。わたい、そんなん知りまへんでしょ。ぶわっ、離れましたわ。ほな、お幸笑ってますねん。こう、ちょっとベロ出して…(舌出して、かわいく笑う)可愛いでしょ」

「可愛《かわい》ない。可愛ない」

「お幸は、めっちゃ可愛いんですわ。わたい、聞きましてん。『お前、何でベロ出すねん』て。ほな、お幸はこう言う。『アンタは何で出さへんの』……もう、そら、ぎゅぅぅて、すぐ抱きしめましたわ。男やったらそうしまっせ、ねえ? そんで、またちゅうぅと……大家さん、もう、わかってまっせぇ。口吸いでは、ベロ出すんやぁ、てな具合で、ベロをペロ。ほなお幸も、ペロ。チロッと出したら、お幸もチロッ。………ペロ、ペロ。チロ、チロ。ペロ。チロ。ペロ。チロ…」

「それ、どこまで続くねん」

「リアルに再現してあげてるんですわ! いいところでしょう? ほんで、チロチロやっとったお互いのベロとベロとが、ある時、ちょんと触れ合ってしまったんです。すると、大家さん、何が起こったと思います? ビビビン! ですわ。体の中、稲妻が走る! いやぁ、たまげました。気持ちよぉ痺れて、あの世まで行きそうでしたわ」

「そのまま行ったらよかってん。ほんで何かい、口吸いで気持ちよぉなって、惚けとったちゅうわけか」

「大家さん、早い早い。焦りすぎ。てい吉とお幸の口吸いは、まだまだ続きます。またお互い、どちらからともなく唇を重ね。またお互い、どちらからともなくベロをペロっと。またお互いのベロとベロとがチョンと触れ合う。するとまたお互い、電気がビビッと。しかし大家さん、えらいもんでっせ。人間ってのは段々、慣れてくる。わたいも男です、そうびびってばかりもいられまへん。少々、ベロが当たろうが、てい吉は動じまへん。そのはずだったんですが、また。腰を抜かす出来事がてい吉の身に!」

「おまはんな。口吸い一つに、何そんな驚くことがあるんや」

「お幸が、何とわたいの口の中に、ベロ突っ込んできたんですわ。ベロ、ベローンと」

「普通やろ、時にはベロ突っ込むこともあるやろ」

「えぇ! ほんまでっか? いやぁ、さすが大家さん、よお知ってはるわ。こらぁ、先、大家さんとやっといたら良かったなぁ、口吸い」

「何好き好んで、男同士でやらなあかんねん」

「ほんで、やっぱりたまげたわたいは、ぶわっと離れましたわ。ほな、やっぱりお幸笑ってますねん。こんな感じで……(ベロ出して笑う)『アンタは何で入れへんの』」

「なあ、お幸さんて、阿呆やろ」

「わたいがやったら阿呆みたいやけど、お幸はむっちゃ可愛いんです。なるほど、口吸いっちゅうのは、ベロをベローンと入れてもいいんやな。もうわたいも心得たってなもんで、ベロを入れたり出したり、口吸いマイスターてなもんですわ」

「なあ、お前、阿呆やろ……聞いてないし」

「そんなこんなで、ベロ、べろんべろんやってましたら、お幸、今度はベロをちゅっと、吸ってくる。わたいはベロ、持っていかれながら、ははん、そういうのもありか、と思て、お幸のベロを逆《さか》とったりで吸ったった。お互い、ベロ押し入れたり、吸い込んだりしてるうちに、わたい、一つの結論に達したんですわ。何かわかります?」

「分かるわけないやろ。口吸いに結論って、何いうてけつかるねん」

「口吸いとは、口という小さな土俵の中で行われる、大相撲ということですわ。押しと引きとの華麗な駆け引き。相撲とわかれば、武者震いするわたいが見えるでしょ? 相撲とらせたら、この長屋で十本の指には入る男でっせ。あれ、知りまへん? 町の関取・千人にも選ばれたことあるんですよ」

「千人いうたら、そのへんの若いの、たいがい入るやないか」

「相撲とわかれば、こっちのもんですわ。突き出し、押し出し、寄り切り、浴せ倒し。お幸もどうして、なかなかやります。内掛け、ちょん掛け、小股すくいに、切り返し。こうなるとお互いムキになってもうて、居反りに、とったり、内無双。外無双まで出ましたわ。もう、投げのうちあい、三所攻《みところぜ》めで、押しと引きとのエクスタシーです」

「何か様子わからんけど、まあ良かったわけやな。もうええやろ、そろそろ、おいとまするで」

「そんな時でした! この事件が起きてしまったのは」


 (間)

「! ………何やねん。急にあらたまって」

「事件……いや、事故と言ったほうがいいのかもしれません。お互い、押したら押す、引いたら引く、そうなってる間は良かったんです。あの時、あのお互いの力が頂点に達した時、ほんとにたまたま、お幸はベロを力強く押し出し、わたいはベロと力強く吸い込んだんですわ。だから、お幸のベロがわたいの口の中に、スルンっと」

「……………はあ?」

「ベロがスルンっと入って……ゴクンっと」

「飲み込んだんかいな?!」


 (間)

「へえ、お幸のベロ、ゴクンっと飲み込んでしまいましてん。慌ててお幸の方見たら、お幸、やっぱり笑ってますねん。空っぽの口、大きゅう開けて、笑ってますねん。お幸は元々気立ての明るい、ちょけた子で、ベロない口でアカンべーしてみせたり、あめ玉なめたりして、ちょけてみせて、わたいを笑わせようとするんですわ。何かほんま、可愛ぃなってまた抱きしめて口吸いしたんですわ。ベロなくても口吸いはできるんですな。お幸が突き出してくる唇を吸い込んで、わたいの口のなかにお幸の唇がスルンっと入って、ゴクンっと飲み込む。突き出してくるあごを吸い込んで、スルン、ゴクン。頭を吸い込んで、スルン、ゴクン。そうこうして、気ぃついたら、お幸いなくなってたんですわ」

「それは、おまはんが………」

「そうです、飲み込んでしもたんですわ」

「手足もか?」

「手ぇも足も、胸も腹も尻も何もかもですわ。それで」

「……いや、そないな話されてもなあ、何と答えてええんか」

「お幸にもう会われへんかと思うと、胸が痛ぁなってもうて」

「そら、もうおまはんの腹ン中やもんなあ」

「今朝起きたら、胸だけやなく、何や腹も痛ぁなってきてもうて」

「そら、好いた女子《おなご》、まるまる飲み込んでもうたんや。その痛み、胸だけや、収まらへんで。……でもな、慰めにはならんかもしれんけど、女子なんて星の数ほどおる、ちゅうやないか。また、ええ人現れるで、これからいくらでも」

「大家さん。お幸よりええ女なんて、いると思いまっか? 本気で好いとったんです………すいません、ちょっと厠に……」

「おう、行ってきたらええ。てい吉。人生は長いんじゃ。お幸は、ええ肥やしになるで」



                          おしまい



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 江戸時代の長屋の大家は、単にオーナー、管理人というだけではありませんでした。店子の親代わり、身元保証人になったり、今なら市役所職員がやりそうなことをやったり、ちょっとした揉め事なら裁判官的な裁量を任されていたり……となかなか大変な仕事だったみたいです。でも、落語によくあるように、店子は家賃の支払いを何とか先延ばしにしようとして、その回収も一苦労。しかもその割に、肝心の家賃もさほど高いものでもなく、たいした収入にならなかったそうです。

 それで、大家はどうやって食べていたかというと、住人たちも生きてますから出すもの出します、そのシモのものを農家に「肥料」として売っていた……これが結構な収入源となって、潤っていたらしいです。


 サゲ(オチ)になっている大家の台詞「ええ肥やしになるで」には、彼に飲み込まれた彼女が……「恋愛経験として“肥やし”になる」と、「田畑に撒く“肥やし”になる」とが掛かってるわけです。



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