2013/08/21

映画「立候補」



 映画「立候補」を見ました。感想を少し書きます。
 友人の間で非常に評価が高かったので、普段なかなか映画を見に行くことがないのですが、これは見てみようかなと重い腰を上げた次第です。
 実際、評判に違わず、様々な思いや考えが去来した、いい映画でした。


 まず思ったのが。選挙というのが実の所、民主主義と資本主義が絡み合った日本社会のなかで、一切の制限がなく自由にものが言える唯一無二の表現の場、最後の残されたメディアなんじゃないかということでした。
 公職選挙法に守られて、実社会ではあらゆるところに存在する “おやくそく” に縛られることなく、言論の自由が保証されている場。政見放送は一切編集してはいけないから、たびたびへんてこ……ユニークな候補者が現れては、へんてこ……ユニークな主張が平等に垂れ流され。それを楽しみにしてる物好きも出てくる。


 映画では、はじめと終わりに、当時話題になったらしい2007年東京都知事選の外山恒一の政見放送が印象的に使われていて。それが、ただの立候補という名詞から、映像作品としての「立候補」と立たせるためのカギ括弧、“「” と “」” の役目を果たしています。

 外山の政見放送は、選挙活動としてはメチャクチャだと思うんだけど、それ自体が何というか作品化されてて。スポークン・ワードだとか、ポエトリー・リーディングみたいな芸術のパフォーマンスになってしまってて、それはそれで成功してると思うんです。本人にとっても、それで良しとするところもあるだろうし。本質的には不本意なのかもしれないけど。映画のなかで、ネットに対する軽い批判として「あらゆるものが『ネタ化』していく」みたいなことを言ってるから。
 カナダのレイブかなんかで、外山の政見放送が勝手に切り取られて、巨大モニターに何枚も並べられてギミック的に使われ、何言ってるのかもろくに分かってないだろうカナダ人たちがウフォオオオ!……とやっている映像を外山自身が紹介していたりするんですが。そこからも政見放送自体が、選挙活動を超えたメディアとしての可能性を持っているんだなと思いました。普通なら、あの種の “圧” や “熱” はスポイルされないと公共の電波には流されないから。


 映画自体、選挙という扱いにくそうなものを、映像作品として非常にうまく作品化しています。妙味というのでしょうか。シーン構成は勿論ですが。ものを食べたり飲んだりする音を、やたらに立てて(際立たせて)使っていたり。映像に載せる文字情報などでユーモラスに見せながら、じわじわと「民主主義」について、またそれを支える「選挙」というものについて、なにより「人間」そして人間がつくる「社会」について、問いかけるようになっています。

 2011年の大阪府知事選の泡沫候補たちを追いかける内容なのですが、僕自身、大阪府民としてこの選挙を経験していたにも関わらず、彼らのことはほとんど知りませんでした。分からないなりに、選挙公報くらいには目を通し、選挙も行ったはずです。普通の政党候補が判で押したような、きれいなフォーマットで顔写真や主張を掲載してるなか、手書きの文字でびっしりと主義主張が書かれていたり、正直読みにくかったりで、印象には残りますが、その中身はほとんど記憶に残らない。そこから彼らのことを知ることはほとんど無かったし、知りようもなかったと思います。そういう意味でも、大阪府民には特に見て欲しい。彼らの人となりがちゃんと見えることで、独特の感慨が生まれるはずです。


 マック赤坂がこの映画の要です。ハローワークでロールス・ロイスの運転手のバイト見つけて、そのまま秘書にまでなってしまった、櫻井さんもナイスキャラです。マックが梅田の地下街で踊ってる(選挙活動です)のは、絶対その後にすぐ、立ち飲みで串カツとビールひっかけるために決まってるし。マックと秘書さんがどこでも「選挙活動やろがいぃ、ジャマでけへんぞコラ!」ばりに、ギリギリでやっていくあたりは、彼らを表現者としてみると実に巧妙な戦略として見て取れます。
 挙句に選挙してる大阪府とは関係のない京都にまで繰り出し、選挙活動。それを規制する法はないらしいですが、そもそも常識的にやらないだろうから、規定してないだけだと思うんだけど。マックの出身校である京都大学は学園祭の真っ最中で。でもお構いなしに校門に乗りつけ、選挙活動。後輩たちに何か訴えたかったのかな? さすがに、「やめてください」って半泣きになってる学祭実行委員の女の子は可哀相でした。僕が同じ立場なら最後にキレて、櫻井さんと殴り合いになってると思います。四条あたりの繁華街でも、選挙活動。このあたりから、編集の妙でしょうか。珍妙な姿で珍妙に振舞い、それでもまわりを笑顔にしたいマック赤坂の表情に「ここまでしても感」が滲んできます。焦り、疲れ、そしてそこからの狂気。

 マックは活動中、まめに紙パックで飲み物をチュウチュウしてるんですが、よく見るとそれ、日本酒「鬼ころし」の紙パックです。飲まないとやってられないんだろうな、と腑に落ちました。あれだけ大勢の目に晒されながら、あれだけ大勢の目に無視されたら。

 車がビュンビュン行き交う、3〜4車線くらいある交差点のど真ん中に立って、誰も聞かない選挙活動をして、恐々と小股に歩道へと戻っていったり。最有力候補の最後の演説の場に乗り込んで、選挙活動してみたり。
 公職選挙法をか細い杖にして、ぎりぎりで立ちつづけるマック赤坂。何でこんなことしてるんだろうと思ってるんだろうな、でもやるからにはやってしまうんだろうなという感じの櫻井さん。その姿に罵声を浴びせる大勢の観衆。そこに、選挙活動には関わらないマックの息子が、父の生き様を一番よくわかっている息子が……というのが映画のクライマックスになってて、非常に心打たれることになるでしょう。


 選挙への立候補には、悪ふざけや売名、選挙妨害などを防ぐために供託金というのが課せられてます。知事選だと300万円。一定の票数を獲得しないかぎり、それは没収されます。泡沫候補だと、傍から見れば結構な大金をほとんど捨ててるように見えるわけです。なのに、どうして立候補するのか?
 考えれば、資本主義社会という側面で見れば、300万円ポンと出せる人間って、そこそこ上位に位置しているわけでしょう。何度も出馬できているマック赤坂や羽柴秀吉なんか、相当上になるんじゃないでしょうか。選挙になんて出てなければ、見下し罵ってくるおっさんや兄ちゃんの方こそが見下されてただろうし、そもそも会うことすらなさそうな遠い人間のはずです。

 で、あるにも関わらず、彼らはあえて降りてきて。大枚はたいて、馬鹿にされながらも、訴える。芸能人ほどの知名度も、政党の後ろ盾、組織力もないから、奇抜に振舞い、時に滑稽に見えようとも恐れず。そこに、正しさや具体性、実行力が、あろうがなかろうが。
 彼らはそこまでしても、伝えたい何か、訴えたい何かがあるんだと思います。そして根底には、きちんと(自分にとって)正しいことを伝えれば、みんながわかってくれるはずだという、人への信頼……それは愛といってもいいかもしれない、そんなものがあるんだと。


 そして、さらに裏を返せば。彼らが信頼や愛を持てるのは、ある程度この社会において成功を掴めたからで。ある種、恵まれた人たちなんだろうとも僕は思うのです。
 立候補なんてしない、僕も含めた、その他の多くの人はどこかで何かを諦めたり、伝わらなかったりで、心を折られてしまったじゃないか。僕たち国民一人一人が国家の主権者だと持ち上げられながら、本質的に言いたいことも言えず、言ったとしても聞いてももらえず、国民のほとんどが流されて、立ち上がろうという気持ちすら削がれている社会。それこそが、滑稽にも哀れにも見えるじゃないか。


 負け続けても立ち続ける彼らを見て、僕たちは笑っている。でも気づかないうちに、本当に僕たちが笑っていたのは、僕たち自身なんだろう。
 だって、立ったこともない僕たちは。まだ、負けることすら、できてないのだから。


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